ミュージアム研究|地域に眠る歴史を現代の「学び」に変える―川崎市市民ミュージアムから考える新しい活用法

今回は、川崎市で開催された川崎市市民ミュージアムの講座「六郷橋と六郷渡船 ―多摩川を渡す人々―」に参加してきました。
地域の歴史を学ぶ講座ですが、参加してみると、単なる「昔の川崎の話」にとどまらない内容でした。
橋を造るのか、船を使うのか。誰がお金を出すのか。新しいインフラによって仕事を失う人をどうするのか。災害が起きたとき、別の手段をどう残しておくのか。
江戸・明治時代の人々が直面していた問題の中には、現在の企業経営や事業開発、DX、BCPにも通じるテーマが数多く含まれています。
今回は、川崎市市民ミュージアムの取り組みを紹介するとともに、地域に蓄積された歴史やミュージアムが保有する知識を、現代社会でどのように活用できるのか考えてみたいと思います。
1.施設がなくても活動を続ける川崎市市民ミュージアム
川崎市市民ミュージアムは、2019年の令和元年東日本台風によって施設・設備や収蔵品が被災し、現在は従来の施設で展示等を行うことができない状況にあります。
その中でも、被災した収蔵品の修復を進めながら、市内の公共施設などを活用した展示や講座、オンラインでの情報発信など、さまざまな活動を継続しています。
今回の講座も、市民ミュージアムの建物ではなく、宮前区にある宮前市民館で開催されました。
これは見方を変えると、
「市民がミュージアムへ行く」だけではなく、「ミュージアムが市民のいる場所へ出ていく」
という活動とも考えられます。
常設館がないという制約の中でも、学芸員の専門知識や収蔵資料を活用し、市内各所で文化・歴史に触れる機会を提供している点は興味深い取り組みです。
そして今回の講座に参加して感じたのは、こうした地域史や学芸員の研究成果は、従来の展示や講座だけでなく、現代社会の課題解決や企業研修など、さらに幅広い形で活用できる可能性があるということでした。
2.六郷橋と六郷渡船――橋と船をめぐる人々の選択
今回のテーマは、多摩川を渡るために利用されてきた「六郷橋」と「六郷渡船」です。
江戸時代初期には、徳川家康の時代に六郷に約198メートルの橋が架けられていました。
しかし、多摩川はたびたび氾濫します。
橋は洪水による流失や修復を経験し、1688年の流失後は橋を再建せず、渡し船によって多摩川を渡る方式へと移っていきました。
渡船には、人を乗せる船だけでなく、馬を運ぶ船もあり、多くの人がその運営に携わっていました。原則として24時間利用できる仕組みも整えられていたといいます。
明治時代になると、再び橋を架けようとする動きが生まれます。
興味深かったのは、行政が全面的に主導し、公共事業として橋を造ったという単純な構図ではないことです。
地域の民間側から架橋が出願され、明治政府も橋梁整備を奨励していましたが、建設費まで国が負担してくれるわけではありませんでした。
さらに、橋ができれば、それまで渡船によって生活していた人たちは仕事を失う可能性があります。
そのため、
・橋を造りたい側
・渡船を続けたい側
・川崎宿
・対岸の地域
・行政
・利用者
など、さまざまな関係者の利害を調整する必要がありました。
さらに面白いのが、橋を架ければ渡船が完全に不要になる、という単純な話ではなかったことです。
当時の橋は、洪水によって何度も流失しました。
橋が利用できなくなれば、再び渡船が復活します。
つまり、
橋 → 流失 → 渡船 → 橋を再建 → 再び流失 → 渡船
ということが繰り返されていました。
橋を架ける際にも、「橋が流失した場合には川崎側が再び渡船を担当する」といった取り決めが行われています。
また、橋が完成した後にも、渡船に従事していた人々から仕事を続けたいという嘆願が出されました。
新しいインフラを整備することが、同時に既存の仕事や生活を変えてしまうという問題は、現在にも通じるものがあります。
一つの橋の歴史を追うだけでも、
技術、災害、民間投資、行政、雇用、交通、地域間の利害関係
など、非常に多くの要素が絡んでいることが分かります。
3.地域史は現代社会の問題解決にも使える
今回の講義を聞きながら特に感じたのは、
「昔の人も、現在の私たちと似た問題に悩みながら、その時代なりの解決策を考えていた」
ということです。
橋という技術にこだわり過ぎない
現在の感覚では、
「橋が壊れたのであれば、もっと丈夫な橋を造ろう」
と考えてしまいがちです。
しかし、当時は橋の維持が難しいのであれば、渡船という別の手段を利用するという選択が行われました。
重要なのは「橋を維持すること」ではなく、
「人や物を多摩川の向こう側へ運ぶこと」
です。
目的と手段を分けて考えれば、必ずしも最新の技術や大規模な設備にこだわる必要はありません。
これは現代の企業活動にも通じます。
例えば、
自社設備 → 外部サービス
固定資産 → 変動費
大規模システム → シンプルな運用
など、目的を達成するために手段そのものを見直すことがあります。
技術を導入することを目的にするのではなく、
「本来解決したかった問題は何か」
を考える。
六郷橋と渡船の歴史は、その重要性を改めて考えさせてくれます。
国や行政だけに頼らない
橋が必要だからといって、国や行政がすべてを整備してくれるわけではありませんでした。
地域側から架橋を提案し、資金調達や運営方法を考える動きが生まれています。
現在でいえば、
官民連携、PPP、地域事業、民間主導による公共サービス
にもつながる考え方です。
地域課題を、
「行政が解決してくれるもの」
として捉えるのではなく、
地域・民間・行政がそれぞれの役割を持って解決する
という考え方は、現在の地域政策にも通じます。
地域をまたぐ利害関係を調整する
橋によって便利になる人がいる一方、渡船によって生活している人にとっては死活問題です。
新しい技術は、必ずしもすべての人に同じ利益をもたらすわけではありません。
これは現在のDXや生成AIの導入にも似ています。
新しいシステムによって会社全体の生産性が向上しても、既存業務を担当していた人の仕事や役割が変わる可能性があります。
そのため、技術的な合理性だけではなく、
「変化によって誰にどのような影響が生じるのか」
まで考えなければ、改革は進みません。
六郷橋をめぐる地域間の調整や、渡船従事者による嘆願は、現在のチェンジマネジメントにも通じる事例として見ることができます。
BCPとして見る「橋と渡船」
橋が完成しても、洪水によって橋が流失すれば、再び渡船が利用されました。
現代のITに置き換えれば、
橋=メインシステム
渡船=代替手段・バックアップ
とも考えられます。
最新の仕組みに完全移行して旧方式をすべて廃止するのではなく、障害が発生したとき、別の方法へ切り替えられる状態を残しておく。
現在の言葉で表現すれば、
BCP(事業継続計画)やDR(災害復旧)
にも通じる考え方です。
技術の新旧だけで判断するのではなく、環境変化や災害まで考えながら複数の選択肢を持つ。
150年以上前の地域史からも、現在の事業運営につながる考え方を読み取ることができます。
4.ミュージアムの地域史は企業研修にも活用できるのではないか
ここからは、今回の講座に参加して考えた一つの可能性です。
こうした地域史は、企業向け研修のコンテンツとしても活用できるのではないでしょうか。
例えば今回の六郷橋を題材に、
「六郷橋から考える、技術革新と事業変革」
という企業研修を設計することができます。

(企業研修イメージ画像)
こうした研修では、学芸員が歴史的事実や一次資料を提供し、企業研修側がそれを現代の経営課題へ翻訳するなど、それぞれの専門性を組み合わせる方法も考えられます。
最初に学芸員が、
・六郷橋の歴史
・渡船の仕組み
・洪水と橋の流失
・架橋をめぐる地域間の対立
・渡船従事者の問題
・民間による架橋と行政との関係
などを、古文書や錦絵、地図などの一次資料を使って解説します。
その後、参加者に、
「あなたが当時の責任者だったら、橋と渡船をどうするか」
を考えてもらいます。
例えば、
・橋を建設するべきか
・渡船を残すべきか
・建設費を誰が負担するのか
・渡船従事者をどうするのか
・橋が流失した場合の代替手段をどうするのか
・地域間の利害をどう調整するのか
などをグループで議論します。
そして最後に、それを現在の企業課題へ置き換えます。
例えば、
DX
生成AI導入
新規事業
既存事業からの撤退
BCP
ステークホルダーマネジメント
官民連携
などです。
すると「昔の橋の話」が、
現代の経営課題を考えるケーススタディ
になります。
一般的な企業研修の教材とは異なり、実際に地域で起こった出来事を題材とし、当時の古文書、地図、錦絵などの一次資料を見ることができる点も、ミュージアムならではの強みです。
歴史を知る
↓
資料を見る
↓
当時の人の立場で考える
↓
現代の問題へ置き換える
という流れを作ることで、単に知識を学ぶだけではない体験型の研修にもできます。
ミュージアムが持っているのは「作品」や「資料」だけではない
ここに、これからのミュージアム運営を考える一つのヒントがあるのではないでしょうか。
美術館・博物館には、
作品
収蔵資料
研究成果
学芸員の専門知識
地域との関係性
という多くの知的資産があります。
現在、その価値は主に、
展示する
講座を開催する
図録を制作する
学校教育に活用する
といった形で社会へ提供されています。
これらはミュージアムにとって重要な活動です。
一方で、その知的資産をさらに幅広い形へ展開することも可能ではないでしょうか。
一つの研究成果から、
一般市民向け講座
親子向けワークショップ
学校教育
街歩き
オンラインコンテンツ
企業研修
など、複数のコンテンツを生み出すことができます。
研究内容そのものを変える必要はありません。

変えるのは、
「誰に、どのような形で届けるか」
です。
企業の商品開発でいえば、一つの技術やサービスを、異なる顧客層に合わせて再設計することにも似ています。
ミュージアムが持つ研究成果を「展示するもの」としてだけではなく、
社会で活用できる知的資産
として捉え直すことができれば、新しいミュージアムの役割が見えてくるかもしれません。
5.地域に眠る知識を、現代で使える形へ
ミュージアムの価値は、収蔵品の数だけではありません。そこに蓄積された研究、物語、地域との関係性もまた、重要な知的資産です。
今回、川崎市市民ミュージアムの講座に参加して改めて感じたのは、地域には非常に多くの知識が蓄積されているということです。
学芸員が長年研究してきた地域史。
収蔵されている古文書、写真、地図、作品。
過去の人々が直面した問題と、その解決方法。
それらは単なる「昔の出来事」ではありません。
視点を変えれば、
現在の社会や企業が抱えている問題を考えるためのケーススタディ
にもなります。
ミュージアムの役割を、
「過去を保存し、伝える場所」
だけではなく、
「過去の知識を現代社会へ再編集する場所」
として考えてみる。
こうした活用方法も、これからの美術館・博物館運営を考える上で、一つの可能性になるのではないでしょうか。
ArtTech Consultingについて
ArtTech Consultingでは、IT・事業開発の経験と、アート・ミュージアム分野の調査を組み合わせ、
「文化資産をどのように現代社会の価値へつなげるか」
という視点から、国内の美術館・博物館、芸術祭、文化施設などの事例を研究しています。
施設を新しくすることや、デジタル技術を導入することだけが、ミュージアムの新しい価値創造ではありません。
既存の作品、資料、研究、人材、地域とのつながりを改めて見直し、
誰に届けるのか
どのような体験として提供するのか
社会や企業とどのように接続するのか
を再設計することによって、新しい価値を生み出すことも可能だと考えています。
今後も実際に現場を訪問しながら、ミュージアム運営、地域文化、ArtTechの可能性について紹介していきます。



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