現場レポート|前橋国際芸術祭2026から読み解く群馬の歴史|製糸・SUBARU・アートに見る地域の力
更新日:10月2日

先日、群馬県前橋市で開催されている「第一回 前橋国際芸術祭2026」を訪れました。
今回の目的は、作品を一つひとつ詳しく鑑賞するというより、芸術祭が前橋という街の中でどのように展開され、人の流れや商店街、既存の文化施設、ホテルなどと、どのようにつながっているのかを見ることでした。
実際に街を歩いてみると、作品そのもの以上に興味を持ったことがあります。
それは、
「なぜ前橋で、このような芸術祭が始まったのか」
ということです。
前橋や群馬県の歴史を調べていくと、この地域には過去から現在まで、外部から新しい技術や考え方を取り入れ、それを実際の産業や街づくりへ比較的早く実装してきた事例がいくつもあることが分かりました。
今回の前橋国際芸術祭も、そうした地域の歴史的な流れの延長線上にあるのではないか。
今回は、前橋国際芸術祭を入口に、群馬という土地について考えてみます。
前橋国際芸術祭とは
第一回 前橋国際芸術祭2026は、前橋市中心市街地を舞台に開催されている芸術祭です。
テーマは「めぶく。Where good things grow.」。

この「めぶく。」という言葉は、今回の芸術祭のために新しくつくられたものではありません。
前橋市と、JINS HOLDINGS代表取締役会長CEOで前橋出身の田中仁氏が代表理事を務める田中仁財団などが関わり、2016年に策定された前橋のまちづくりビジョンとして掲げられてきた言葉です。
前橋国際芸術祭2026は、そのビジョン策定から10年という節目に開催されています。
田中仁氏・田中仁財団をはじめとする民間側のまちづくりも、今回の芸術祭のために突然始まったものではありません。
その象徴的なプロジェクトの一つが「白井屋ホテル」です。
前橋中心市街地にあった老舗の白井屋旅館は2008年に廃業しましたが、その建物を再生するプロジェクトが2014年にスタートしました。
建築家の藤本壮介氏をはじめ、国内外の建築家、アーティスト、クリエイターなどが参加し、約6年をかけて再生。2020年12月には、建築・アート・食を融合した「白井屋ホテル」として開業しました。
現在では、単なる宿泊施設というより、前橋を訪れる目的そのものになり得る場所であり、中心市街地再生を象徴する存在の一つになっています。
しかし、前橋の取り組みは白井屋ホテルだけではありません。
2016年の「めぶく。」という都市ビジョンの策定以降、中心市街地ではアート、建築、公共空間、商業などを組み合わせた取り組みが少しずつ積み重ねられてきました。
白井屋ホテルの開業、まえばしガレリア、馬場川通りの整備、街中のパブリックアート、アーティストが活動できる場所など、点として存在していた取り組みが徐々につながっています。
つまり今回の前橋国際芸術祭は、ゼロから突然つくられたアートイベントというより、
約10年間にわたり前橋で進められてきた、民間主導・官民共創による都市再生とアートの取り組みを、一つにつなげる機会
として見ることができます。
会場はアーツ前橋を中心に、
・白井屋ホテル
・商店街
・広瀬川周辺
・地域のアートスペース
・飲食店
・街中に蓄積されてきた建築やパブリックアート
などへ広がっています。
実際に歩いてみると、中心エリアは比較的コンパクトで、徒歩で各会場を回ることができます。
今回感じたのは、芸術祭のために新しい文化施設をつくったというより、
これまで前橋で個別に育てられてきた場所や活動を、芸術祭という仕組みによって一つの都市体験としてつないでいる
ということでした。
白井屋ホテルはすでに人気のあるアートホテルになっています。
アーツ前橋は、現代アートを知る人にとって特徴のある美術館として存在しています。
商店街や広瀬川周辺も少しずつ変わり始めています。
そこに今回の芸術祭が加わり、人が街を歩き、作品を見て、食事をし、ホテルや商店街、公共空間を体験する。
前橋国際芸術祭そのものを見るだけではなく、その前段として何年もかけて街にアートや建築、公共空間を積み上げてきた過程まで見ると、今回の芸術祭の意味がより分かりやすくなります。
そして、今回調べていて興味深く感じたのは、こうした動きが前橋の歴史とも重なって見えることでした。
製糸の時代に地域の実業家が得た富を街へ還元したように、現在の前橋でも、地元企業家がアートや建築、公共空間へ投資し、新しい街の価値をつくろうとしている。
この点については、後ほど群馬県の産業史も含めて考えてみたいと思います。
一番印象に残ったのは白井屋ホテル
今回、一番印象に残ったのは、白井屋ホテルに飾られた木々でした。

白井屋ホテルには以前から何度か訪れています。
特徴的な建築、緑、アート、ホテル、飲食が組み合わされた、前橋を代表する場所の一つだと思っています。
今回はその見慣れた白井屋ホテルが、芸術祭によってさらに華やかに彩られていました。
初めて見る場所ではなく、以前から知っている場所だからこそ、変化が分かります。
「作品を見る」というより、
「知っている街の風景が、アートによって少し違って見える」
という経験でした。
これが今回、一番良かったところです。
商店街で体験したサウンドアート
二番目に印象に残ったのが、商店街で展開されていたサウンドアートです。
作家のインタビューは事前に聞いていましたが、現地ではそれを強く意識せず、普通に街を歩きながら作品を体験しました。
実際に音を聞いたとき、その場所に突然作品が現れるような驚きがありました。
そして、「空き店舗や使われていない空間が残っている街だからこそ、新しい表現にチャレンジできる余地があるのかもしれない」と感じました。
前橋中心市街地には課題が残る一方、それを逆にアーティストが新しいことを試せる「余白」として捉えることもできます。
人が街を歩いていること自体にも、アートの力を感じた
もう一つ印象的だったのが、人の多さでした。

(前橋中央通り商店街)
今回はシルバーウィークの連休でもあり、商店街では芸術祭とは別のイベントも開催されていたため、すべてを芸術祭の効果と考えることはできません。
それでも、商店街には多くの人が歩き、飲食店には列ができ、広場やベンチでは人が滞在していました。
以前にも前橋中心部を訪れていますが、空き店舗は依然として多く残っています。
その街に人が集まり、歩き、食事をし、作品を探している。
その光景には、
「アートやイベントが人を街へ動かす力」
を感じました。
街が完全に再生したわけではありません。
しかし、街の使われ方を一時的にでも変える。
そこにも芸術祭の意味があるように思いました。
なぜ前橋では、新しいことが始まるのか
ここから少し群馬県の歴史を調べてみました。
すると現在の前橋だけを見ていた時には気づかなかった、興味深い流れが見えてきました。
群馬には、新しい技術や仕組みを比較的早く取り入れ、それを地域で実装してきた歴史があります。
① 前橋と製糸業
明治3年、1870年。前橋では洋式器械製糸所が設置されました。
世界遺産として知られる官営富岡製糸場の操業開始は1872年なので、それより早く洋式の器械製糸が導入されています。
もちろん、この段階の製糸所は藩営であり、「民間主導」と単純に表現することはできません。
しかし背景には、江戸時代から続く養蚕・生糸産業と、生糸商人の存在がありました。
1859年に横浜港が開港すると、日本の生糸は海外市場へつながります。
前橋も、その新しい世界市場を早く取り込みました。
そして生糸産業によって蓄積された富は、学校、橋、公共施設など、地域へ再投資されていきます。
ここには、
新しい市場や技術を取り入れる
↓
事業を成長させる
↓
地域に資本が蓄積する
↓
その資本を街へ再投資する
という流れを見ることができます。
② 中島飛行機からSUBARUへ
20世紀に入ると、群馬県からもう一つ、日本を代表する産業が生まれます。
現在のSUBARUの前身である中島飛行機です。
創業者の中島知久平は、現在の群馬県太田市の出身です。
海軍で航空機技術を学び、海外の航空機産業も研究した後、1917年に故郷の群馬で飛行機研究所を設立。
後に中島飛行機は、日本を代表する航空機メーカーへ成長しました。
戦後、航空機生産が禁止されると、そこで培われた技術や人材が民需へ転換され、富士重工業、現在のSUBARUへとつながっていきます。
ここでも、
海外の新しい技術を知る
↓
群馬へ持ち帰る
↓
実際に事業化する
↓
巨大な地域産業へ育てる
という流れがあります。
群馬県を考えるうえでもう一つ興味深いのは、江戸時代の上野国が一つの藩ではなく、前橋、高崎、館林、伊勢崎、安中、沼田など複数の藩や幕府領に分かれていたことです。それぞれの地域が別々の産業や商業圏を形成してきたため、現在でも前橋、高崎、太田、桐生、中之条など、それぞれの街に異なる特徴があります。こうした「一つの中心に集約されない地域構造」も、各地域が独自の取り組みを生み出す背景の一つなのかもしれません。
「新しいものを早く試す」土地なのか
ここまで見ていくと、一つの仮説が浮かんできます。
群馬は、
「すべてをゼロから発明する土地」というより、
「外部から登場した新しい技術や考え方を早く取り込み、自分たちの現場で実装することが得意な地域なのではないか」
ということです。
製糸では海外の器械技術。
航空機では欧米の航空技術。
戦後には自動車産業。
そして現在では、デザイン、アート、都市再生といった新しい分野にも、その動きが広がっているように見えます。
もちろん時代も主体も違うため、これを単純に「県民性」と断定することはできません。
しかし、
新しいものを取り入れる
↓
現場で試す
↓
民間や地域の人が事業化する
↓
地域へ広げる
というパターンが、異なる時代に何度も現れていることは興味深く感じます。
アートでも群馬は先行している?
その視点から現在の群馬を見ると、アート分野も面白く見えてきます。
中之条町では、中之条ビエンナーレが長く開催されています。
温泉街、廃校、古民家、里山などを舞台に、アーティストが地域へ入り、作品を制作する取り組みです。
前橋では、白井屋ホテル、アーツ前橋、まえばしガレリアなどが生まれ、民間と行政が連携しながら文化を軸とした都市再生が進められています。
さらに群馬県は、アートを地域振興や経済、教育などにつなげる「群馬パーセントフォーアート」の取り組みも進めています。
中之条と前橋では方法が違います。
中之条は、地域とアーティストが長い時間をかけて関係をつくってきたモデル。
前橋は、企業経営者や民間投資、建築、ホテル、美術館、商店街などを組み合わせた都市再生型です。
それぞれ違う方法で、アートを地域に実装しています。
そう考えると、今回の前橋国際芸術祭も、
「突然始まったアートイベント」
ではなく、
群馬でこれまで積み重ねられてきた地域実装型の取り組みの一つとして見ることができます。
前橋にはアート以外にも面白いコンテンツがある
前橋には「食」という地域資源もあります。ランチには中心市街地の老舗蕎麦店で食事をしました。

芸術祭をきっかけに街を歩き、地元の店を利用することも、地域への経済波及の一つだと感じます。
また、前橋からの帰りは、中央前橋駅から上毛電気鉄道を利用してみました。

(上毛電気鉄道700形。京王井の頭線で活躍していた3000系を改造し、1998年から導入された車両)
前橋から赤城駅方面へ向かうローカル鉄道です。
車内で驚いたのが、自転車をそのまま電車に持ち込む人がいたことでした。
上毛電鉄では「サイクルトレイン」が行われており、自転車を輪行袋に入れず、そのまま車内へ持ち込める仕組みがあります。
東京の鉄道に慣れていると、普通に自転車を押して電車へ入ってくる姿には少し驚きます。
しかし、
自転車
+ ローカル鉄道
+ 街歩き
+ 赤城山
+ アート
+ 食
と考えると、これも前橋・群馬ならではの観光コンテンツになり得ます。
今回私は、行きは都内から新前橋駅までJRの特急を利用し、帰りは中央前橋から上毛電鉄、赤城駅から東武鉄道方面へ向かいました。

在来線特急(草津・四万)
往復で違う鉄道を利用したことで、芸術祭だけでなく「乗り鉄」も楽しめました。移動そのものも、旅の魅力の一つです。
結果として、
アート
+ 建築
+ 商店街
+ 食
+ 地方鉄道
まで一日で体験することができました。
前橋国際芸術祭が「つないだもの」
今回の芸術祭を振り返ってみると、新しい何かをゼロからつくったというより、
すでに前橋にあった魅力を、芸術祭によって一つにつないだ
という印象を持ちました。
白井屋ホテルは、すでに人気のあるアートホテルです。
アーツ前橋は、現代アートを中心に独自の企画を展開する文化拠点です。
商店街や広瀬川周辺も少しずつ変化しています。
そこへ芸術祭を入れ、人を歩かせる。
さらに、
食
ホテル
建築
公共空間
地域交通
などを組み合わせる。
そうすることで、
「作品を見るために前橋へ行く」
だけではなく、
「前橋という街そのものを体験する」
という価値に変えていこうとしているのではないでしょうか。
まとめ ― 今回は「答え」ではなく、研究の途中
今回、前橋国際芸術祭を「成功」「失敗」と評価することはしません。
第一回であり、芸術祭が終了した後に人の流れや商店街、アート活動がどう変化していくのかも、まだ分かりません。
むしろ今回興味を持ったのは、
「なぜ群馬では、時代ごとに新しい産業や取り組みが生まれてきたのか」
ということでした。
製糸。
航空機。
自動車。
そして現在のアート。
分野も時代もまったく異なりますが、そこには、新しいものを外から取り入れ、まず現場で試し、事業や地域へ実装していくという共通点があるように感じます。
また、製糸によって富を得た実業家たちが街へ資本を還元した時代と、現在、地域の企業家がアートや建築、公共空間へ投資している前橋の姿にも、どこか重なる部分があります。
もちろん、これらを直接結びつけることはできません。
しかし、前橋国際芸術祭を歩いたことをきっかけに、現在のアートによるまちづくりを単独の出来事として見るのではなく、群馬という土地が長い時間をかけて形成してきた産業や地域文化の延長線上から考えてみたいと思うようになりました。
今後、中之条ビエンナーレをはじめとする群馬県内のアート、前橋の都市再生、地域産業の歴史、食や交通などについても継続してフィールドワークしながら、
「群馬という土地と、産業・文化・アートの関係」
について、引き続き研究していきたいと思います。



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