現場レポート|松戸市「科学と芸術の丘」から考える、行政予算に依存する地域アートの課題

2026年10月24日・25日、千葉県松戸市で開催された国際フェスティバル「科学と芸術の丘2026」を訪問しました。
戸定邸・戸定が丘歴史公園を舞台に、科学、芸術、自然を融合させた作品展示やワークショップなどを展開する芸術祭です。
今年のテーマは「Weaving the Microcosmos ― 小宇宙を編む ―」。
会場では、土壌の微生物をテーマにした国際共同研究、植物由来のインクを使った作品、糸と光を組み合わせたインスタレーションなど、科学とアートが交差する興味深い作品を鑑賞しました。
一方、今回特に印象に残ったのは、アーティストの滞在制作や地域との関わりをテーマにしたトークショーです。
その内容をきっかけに、松戸市の文化事業の歴史や行政予算、アーティスト・イン・レジデンス(AIR)の仕組みについて調べてみました。
すると、地域アート活動が長年継続するなかで直面する、事業の持続可能性という課題が見えてきました。
今回は、芸術祭の作品紹介から少し視点を変えて、行政の財政支援に依存する文化事業の課題について考えてみたいと思います。
1.世界と松戸をつなぐ文化事業の始まり
松戸市では2013年、アーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR」が活動を開始しました。
運営するのは一般社団法人PAIRです。
PARADISE AIRは、江戸時代に水戸街道の宿場町として栄えた松戸の歴史を踏まえ、「一宿一芸のトランジットポイント」という理念を掲げています。
国内外のアーティストが松戸に滞在し、地域との交流を通して新しい表現や文化を生み出すという考え方です。
この理念は、松戸の歴史とも重なります。
今回の芸術祭の主な会場である戸定邸は、徳川慶喜の弟・徳川昭武が暮らした邸宅です。
昭武は1867年、将軍の名代としてパリ万国博覧会に参加し、その後も海外で学んだ経験を持つ人物でした。
かつて国内外の文化を取り入れてきた松戸を、現代の国際文化交流拠点として再解釈する。
その発想は、都市の歴史を生かした興味深い取り組みだと感じます。
そして2018年、市民を中心とした取り組みから「科学と芸術の丘」が始まりました。
PARADISE AIRが通年のアーティスト滞在・制作を担い、芸術祭が作品発表や市民交流の場となる。
この二つを組み合わせ、松戸の文化活動を発展させてきたわけです。
なお、PARADISE AIRは一般社団法人PAIRが運営し、芸術祭は科学と芸術の丘実行委員会が企画運営する、異なる事業体制です。両者は松戸市の文化政策の中で連携してきました。
2.行政予算によって発展してきた文化事業
この活動を支えてきた重要な要素が、行政からの財政支援です。
文化庁の「文化芸術創造拠点形成事業」の事例紹介によると、2023年度の松戸市「文化の香りのする街構築事業」は、以下の規模で実施されていました。
総事業費:5,800万円
国庫補助額:2,800万円
これはPARADISE AIRと「科学と芸術の丘」を一体的に推進する事業の金額であり、芸術祭単独の予算ではありません。
行政がこれだけの規模の資金を投入していた背景には、国際的な文化交流や創造活動を通して、地域に新たな価値を生み出そうという政策的な期待があったと考えられます。
しかし、2026年度に状況が変わりました。
松戸市は財政運営の見直しを進め、両事業についても事業目的や効果を再検証したうえで、予算を見直す方針を示しました。
PARADISE AIRも2026年3月、松戸市からの予算削減を受け、運営体制と滞在プログラムを大きく変更すると発表しています。
その後、自己負担による新しい滞在プログラム「RePAIR」を開始しました。
これまでの行政支援を中心とした運営から、自主財源を増やす方向への転換です。
一方、「科学と芸術の丘2026」は開催を継続し、文化庁の助成に加え、民間財団や企業協賛なども活用しています。
したがって、行政支援がなくなったわけでも、文化活動が終了したわけでもありません。
ただし、これまでの事業規模と運営体制を維持するための前提条件が、大きく変わったことは確かです。
3.13年間継続したビジネスモデルの転換点
今回、経営の観点から最も興味深かったのは、2013年に始まったPARADISE AIRの運営モデルが、約13年を経て大きな転換期を迎えたことです。
当初は、遊休不動産を活用してアーティストの活動場所を確保し、松戸と世界をつなぐ新しい文化交流の仕組みを構築しました。
その後、行政との連携を深め、国際的なネットワークを拡大していきました。
事業の立ち上げ期には、行政が資金を提供し、専門性を持つ民間組織が運営を担う仕組みは、合理的だったと思います。
しかし、公的資金を中心とする事業には、構造的なリスクがあります。
行政の財政状況や政策の優先順位が変われば、事業の必要性や予算配分が改めて検討されるからです。
今回の松戸市でも、行政は文化活動そのものを否定しているわけではありません。2026年度の施政方針では、文化を通じたまちづくりや青少年の創造性を育む施策も掲げています。
そのうえで、各事業の効果を検証し、限られた財源をどのように配分するかが問われるようになっています。
かつて合理的だった事業モデルが、環境の変化によって見直しを迫られる。
これは文化事業に限らず、一般の企業経営にも共通する問題です。
4.アーティストの活動実績は、社会的価値を説明できているのか
では、行政は文化事業をどのように評価すべきなのでしょうか。
アーティスト・イン・レジデンスでは、一般的に以下のような活動実績を把握できます。
滞在したアーティストの人数や国籍
展示会、ワークショップなどの実施回数
イベントへの来場者数
作品制作や国際交流の実績
これらは事業の規模や活動状況を把握するために重要な指標です。
しかし、文化事業が長期間継続した場合、もう一つの視点が必要になると思います。
それらの活動によって、市民や地域社会に何が残ったのか。
例えば、海外から多数のアーティストが松戸を訪れたことは、国際的な交流実績として評価できます。
一方、一般の外国人との交流が広がる現在、海外アーティストを招聘することによって、通常の国際交流では得られないどのような価値が生まれたのか、という問いも重要になるでしょう。
もちろん、PARADISE AIRが成果評価を軽視していたわけではありません。
2022年には「事業評価をストレッチする。」という取り組みを公開し、文化活動の成果や価値を言語化し、第三者に伝えることの難しさを議論しています。
また、松戸市も2023年度の事業目的として、次世代の担い手育成や持続可能な運営体制づくりを掲げていました。
つまり、活動の社会的価値を考えていなかったわけではないのです。
問題は、こうした価値をどこまで継続的に検証し、公共投資の成果として説明できる仕組みにしていたのかという点にあると思います。
5.市民に残る成果をどう考えるか
文化事業の成果を考えるうえで、以前訪問した浦安市郷土博物館の取り組みが参考になります。
同館では、子どもたちが地域の歴史や文化を学び、ジュニア学芸員として展示解説やイベント運営に参加しています。
来館者に文化を提供するだけでなく、文化を支える新しい人材を育てる仕組みになっている点が印象的でした。
一方、芸術祭による地域活性化では、瀬戸内国際芸術祭のように、地域の認知度向上や観光、移住、地域コミュニティの再生などにつながった事例もあります。
ただし、こうした変化はアートだけによって生まれるものではなく、地域住民や行政、事業者の継続的な取り組みも重要です。
私は、松戸市でも海外アーティストの自由な創造性を大切にしながら、地域の学校や子どもたち、市民団体との継続的な関係を育てていくことが重要だと考えます。
例えば、海外アーティストと市内の子どもたちが松戸の歴史や自然を調査し、共同制作を行う。
そして、参加した子どもたちが翌年も活動を続けたり、新たな参加者に経験を伝えたりする。
このような活動が地域に定着すれば、人数や来場者数とは異なる形で、成果を確認できるでしょう。
今回の芸術祭にも、市民が参加する土壌微生物の国際共同研究「The Garden Experiment」など、こうした方向につながる取り組みは存在しています。
重要なのは、単発の参加で終わらせず、そこから生まれた学びや関係をどのように育てていくかだと思います。
6.芸術的価値と公共的価値は、分けて評価する必要がある
もっとも、すべてのアーティストに地域課題の解決や、目に見える成果を求めることが適切だとは思いません。
アーティストの自由な発想や実験的な表現は、短期的には成果が分かりにくくても、後になって大きな文化的価値を生む場合があります。
海外の公的なアーティスト・イン・レジデンス制度でも、創作活動そのものを支援するものと、市民参加や行政課題への対応を目的とするものがあります。
この二つは、評価方法を分けて考えるべきでしょう。
私が重要だと思うのは、次の3つの視点です。
① 芸術的価値
新しい作品や表現、研究成果、アーティストの成長などを評価する。
② 社会的価値
市民の学び、文化活動への継続参加、地域のつながりなどを評価する。
③ 事業の持続可能性
行政予算、文化助成金、企業協賛、自主事業など、財源の構成と将来の運営体制を評価する。
これらを一つの指標だけで評価することには無理があります。
特に重要なのは、行政と運営者が、何を目的に資金を投入するのかを共有し、その目的に合った評価方法を設計することです。
7.地域アート事業が長く続くために必要なこと
今回の松戸市のケースから考えさせられたのは、文化事業が成功し、長年継続してきたからこそ生まれる課題です。
事業の立ち上げ期には、新しい文化活動を地域に根付かせることが重要になります。
しかし、5年、10年と活動を継続するうちに、行政の財政状況や地域社会、国際交流を取り巻く環境は変わっていきます。
その中で、従来の事業モデルを維持するだけでは、将来の変化に対応できなくなる可能性があります。
重要なのは、事業が順調な時期から、次の運営モデルを検討しておくことではないでしょうか。
例えば、行政支援が減った場合の事業規模、民間資金の確保、地域の学校や企業との連携、専門スタッフの雇用継続などです。
2026年、PARADISE AIRは有料滞在プログラムへの転換を開始しました。
ただし、滞在料収入だけで、従来の国際AIR運営に必要だった人件費や専門的な支援機能を賄えるかは、今後の検証が必要です。
これは単に営業活動を強化すれば解決するという問題ではなく、事業の目的と組織規模、財源のあり方を再設計する課題だと考えます。
8.まとめ|文化活動が生み出した価値を、次の10年につなげられるか
今回の「科学と芸術の丘2026」は、作品展示だけでなく、文化活動を継続することの難しさについて考える機会となりました。
トークショーでは、アーティストが地域にもたらす価値や、人と人との関係を育てるために必要な時間について語られていました。
その話を聞きながら感じたのは、予算の問題に加えて、長年取り組んできた活動の社会的価値を、どのように伝えていくべきなのかという難しさです。
行政予算が削減されたからといって、活動に価値がなかったことにはなりません。
一方、長年活動を続け、国際的な実績を積み重ねてきたことだけで、将来も同じ規模の公的支援を継続する理由になるとも限りません。
行政の側にも、芸術的・社会的な成果を適切に評価し、中長期的な視点で文化政策を設計する責任があります。
今回の松戸市の事例は、2013年に生まれた国際AIRの事業モデルが、13年後の社会・財政環境の中で転換を迫られたケースと捉えることができます。
これはPARADISE AIRだけの問題ではなく、行政の支援によって育てられてきた多くの地域文化事業にも共通する課題でしょう。
文化事業を始めることだけでなく、10年後にどのような成果を地域に残し、さらに次の10年へどうつなげていくのか。
今回のフィールドワークを通じて、文化政策にはこうした長期的な経営の視点も必要なのだと、改めて感じました。
参考資料
本記事は、2026年10月の現地訪問、トークショーの聴講、公開資料の調査に基づく筆者の考察です。行政による個別の予算判断の内情や、運営団体の経営状況全体を確認したものではありません。



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